会津若松ライオンズクラブ 半世紀の記録
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おかげ様で五十年

会津若松LC結成メンバー26名チャーターメンバー5名

会津若松ライオンズクラブ半世紀の記録

結成

50年間の会津若松ライオンズクラブの歩み

新潟LC・仙台LCの両クラブのスポンサーにより。1960年(昭和35年)1月22日 日本で160番目、332D地区(福島県)で2番目に、

「会津ライオンズクラブ」として結成した。結成メンバー26名と、同年6月5日の認証状伝達式までの入会者5名を加え、計31名の

チャーターメンバーでスタートした。1966年(昭和41年)「会津ライオンズクラブ」を「会津若松ライオンズクラブ」に呼称変更する。

現会員中にチャーターメンバーは居ない。なを、会津若松ライオンズクラブの会員のピークは平成3年12月に72名のクラブ員が居た。


お祝いの風船

スポンサーしたクラブ

・郡山LC(昭和36)・坂下LC(昭和40年)・猪苗代LC(昭和41年)・喜多方LC(昭和41年)

会津若松鶴城LC(昭和43年)・会津若松葵LC(45年)・会津磐梯LC(昭和50年)・会津若松なよたけLC(平成6年)


会津若松ライオンズクラブと姉妹クラブの締結式

姉妹クラブ

松坂LC(昭和54年)

会津開府の祖、蒲生氏郷が当市の基礎ずくりと、多くの職人と同伴したため会津若松市に子孫が生活していることから。


日本橋LC(昭和55年)

昭和48年から図書の受贈を縁に、結成20周年記念として締結した。およそ20年に亘り受贈が読けられ、

一度に数千冊も頂いた時もあり、他の市内クラブの手を借り各校に配布した。


長岡LC(昭和57年)

長岡藩首席家老、 河井継之助が、総督として戊辰戦争で会津藩を応援したことから。


浦和LC(昭和59年)

会津藩松平家の祖、保科正之公の養母見性院の御廟が浦和市内に安置してあるゆかりの地であることから。


高遠伊那東LC(昭和59年)

高遠町は会津藩松平家の祖、保科正之公の幼少時代に育った所であった。しかし平成18年高遠伊那東ライオンズクラブ解散のため姉妹クラブを解消した。


会津若松LCと高遠伊那東LCとの姉妹クラブ解消

友好クラブ

新潟LC(昭和40年)

新潟地震被災の御見舞いが縁と新潟LCが親クラブであったため。

#hannseiki へのリンク

なを、会津若松ライオンズクラブのライオンゴングは、結成時に新潟クラブから寄贈をうけたもの。

新潟LCから寄贈のライオンゴング新潟LCより寄贈のライオンゴング新潟LCより寄贈のライオンズゴング


横須賀中央ライオンズクラブ旗

横須賀中央LC(平成17年)

横須賀を拠点としていた佐原十郎義連の孫光盛が葦名を名乗り、400年間會津を治めた。鶴ヶ城の前身黒川城を築いた,ゆかりもある。

なを、会津若松市と横須賀市・友好都市締結式を平成17年4月におこなう。<結成五十周年記念大会・会長L菅家一郎が会津若松市・市長の時>